2014年9月度 山行部例会報告
第14回視覚障害者全国交流登山東日本大会
会津磐梯山(ミドル)、安達太良山(ソフト)





    
  実施日 2014年9月13日(土)〜15日(祝月)の2泊3日
  天  気 三日間とも晴れ時々曇り
  参加者 視障:6名  晴眼:12名  合計:18名
  コース 9月13日(土) 
京都駅08:33発JR新幹線ひかり512号〜東京駅11:10着〜東京駅
12:00発JR新幹線やまびこ137号〜郡山駅13:18着〜郡山駅13:46発
JR快速〜猪苗代駅14:20着〜(送迎バス)〜
国立磐梯青少年交流の家16:00〜
開会式、オリエンテーション、代表者会議など

9月14日(日)
06:00起床、07:10〜07:50朝食、08:00〜17:00登山実施

会津磐梯山コース
猫魔八方台09:15〜中の湯跡〜弘法清水12:10(昼食)〜山頂〜
弘法清水〜中の湯跡〜猫魔八方台17:15

安達太良山コース
奥岳登山口ゴンドラ駅〜ゴンドラ山頂駅〜表登山口分岐〜安達太良山山頂〜
表登山口分岐〜ゴンドラ山頂駅〜奥岳登山口ゴンドラ駅

19:00〜22:00イベント、団体紹介、懇親会

9月15日(祝・月)
起床・洗面・部屋の片付け・各自帰宅準備・朝のつどい 06:10〜07:10
朝食                        07:10〜08:00
各部屋チェック                   08:30〜09:00
閉会式                       09:00〜09:30
解散                        09:30
国立磐梯青少年交流の家〜(送迎バス)〜JR猪苗代駅〜
猪苗代駅10:23発普通〜会津若松駅10:54着〜(貸切マイクロバス)
〜会津満田屋(昼食)〜(貸切マイクロバス)〜会津市内観光
(会津若松城、白虎隊の飯盛山)〜会津若松駅15:06発JR普通〜
郡山駅16:20着〜郡山駅16:30発JR新幹線やまびこ146号〜
東京駅17:48着〜東京駅18:33発JR新幹線ひかり527号〜
京都駅21:11着・解散
  感 想

  まずは、三日間とも好天に恵まれ良かったです。ただ、登山当日の未明に雨が降った
  ようで、土質のせいもあってか、少し滑りやすかったです。
  宿舎の「国立磐梯青少年交流の家」は、すばらしいロケーションの中に有り、山も
  登りごたえが有り、登山道も変化に富んでてたいへん楽しかったです。
  ただ、季節もよし、天気もよし、連休と言う事もあって、登山者が多く、すれ違い、追い越し
  待ちなどで渋滞が多かったです。
  このような中、100人を超える団体を予定時間中に行動させるのは、なかなか難しい
  のではないかと思いました。
  15日、会津若松市内を観光しました。白虎隊の飯盛山では、近くの「松良」と言うお店
  の店員さんが、飯盛山無料ガイドと白虎隊剣舞ショーをやっていただき、この飯盛山
  ガイドがすばらしかったです。
  講談風に立て板に水のごとく、ペラペラとガイドしてくれました。感動もんでしたねぇ。(笑)
  次回は、2016年3月に広島県の宮島が予定されています。
  皆さん、今から貯金して参加しましょう。(笑)
           





参加者からの感想文

全国視覚障害者交流登山(会津磐梯山)に参加しました

  今年の日本列島を、かつて経験しなかったような大雨が各地を襲い、甚大な被害に改めて自然の猛威
  をつくづく植え付けましたね。
  そんな中、2年ごとに開催される全国の仲間たちが、今回は福島会津磐梯山に総勢278名が国立磐梯
  青少年の家に集いました。
  悪天候も心配しましたが、単なる私の危惧に過ぎず、三日の間晴天でした。
  かざぐるまの一向18名が新幹線、バスなどを乗り継いで現地の宿泊所に到着したのが、3時過ぎ。
  既に各地からの団体も到着していて、懐かしい面々と挨拶を交わしそれぞれの部屋へ。
  翌日は会津磐梯山、安達太良山二組に別れ、私はかざぐるまメンバー16名とともに磐梯山(1816m)
  に9時登山開始。
  3連休と重なった上に、絶好な天気に、一般の登山客も大勢押し寄せ、登山道は満員。
  途中ブナ林、ななかまど、鬼アザミ、ウメギボシなど、植物学者のO女子の説明に癒されながら、岩や
  ゴロ石、滑落注意などの悪路を、追い越し、すれ違い、アップダウンに悪戦苦闘を繰り返しつつ、何とか
  かんとか、山頂1816に登場したのが1時半頃。
  山頂からは猪苗代湖や、刈り取り間近い黄金色に染まった田んぼが、下界の360度の眺望を賑わして
  いるよう。しかし山頂は石がごろごろしている上に、大勢の人込みで、三角点に触れようと歩くも一苦労、
  あわただしく集合記念写真撮影後、復路を下山開始です。
  私のサポータを勤めたI、O、K、T氏らの丁寧な誘導、足元の説明に細心の注意を払って進んだはずが、
  微妙に思惑が外れて幾度と無く転倒したが、無傷で目的達成できてほっとしております。
  三日目は交流閉会後、リーダーの粋な計らいで、会津若松城や幕末時代の会津白虎隊の墓参りと
  その周辺観光を楽しみました。
  中でも会津若松城前のでんがく専門店で食べたコンニャク、アツアゲ豆腐、焼餅、焼きゴメご飯の
  串さしはなかなかの味噌味で、私は思わずビールと地酒の濁り酒も戴き満足満足。
  昼食後、お城庭散歩頃には、私の体は空間を泳いでいる快適な気分に成っていました。
  城の門を出たところから、歯切れのよい女性の講談師が白虎隊の眠る墓前に巧妙な語り口を交え
  ながら、190段程の階段を事も無げに案内してくれ、若き志士たちの「会津若松城陥落せり」と自害
  するまでの苦難苦渋するまでの物語を語る中、全盲の私でもまるで目の前でその光景が展開されて
  いるような雰囲気を感じ、最後は最寄の土産店で酒の当てになりそうな漬物や焼き栗、地元ならではの
  饅頭も家で待つ家族のためにいっぱい買い、帰路に着き、10時過ぎ帰宅しました。
  ご参加の皆さんお疲れ様でした。
    

第14回 視覚障害者全国交流登山大会に参加して

   「会津磐梯山は宝の山よ〜」
  13日、新幹線を乗り継いで、やっとのことでJR猪苗代駅に。送迎バスで今回の交流の基地として
  お世話になる国立磐梯青少年交流の家にたどりつく。
  全国から13団体・260名を超える参加者が講堂に集結し、開会式が行われる。その後夕べのつどい・
  入浴・食事・団体紹介があり、ビューラウンジですし詰め状態のにぎやかな懇親会で、慌ただしい一日
  の締めくくりとなりました。
  
  14日、交流の家主催の「朝のつどい」のあと食事を済ませて、いよいよ「宝の山・磐梯山」へ向かう。
  磐梯山の東側を回り込んで、五色沼など大小の湖沼群が散在するいわゆる「裏磐梯」をバスで通過し
  八方台登山口に着く。
  高原の爽やかな風と光に包まれながら、予想もしなかった立派なブナ林の緩斜面をしばらく行くと、
  なにやら硫黄の匂い漂う荒涼地に出くわす。
  何十年前までは温泉旅館だったというさびれた廃屋がたつ「中の湯跡」。やはり、活火山なのを実感
  する。
  木道を渡り沼地を超えて尚登ってゆくと、徐々にダケカンバが現れて、次第にダケカンバの巨木林に
  変貌。関西では見られない東北の豊かな森だ。道が急になって、足場が濡れていて少し難渋する
  メンバーもいたが、何とか高度を稼ぎ「お花畑展望台」の標識が見えるところに着く。一般登山者も
  多く、道を譲ったり時間待ちしたりで、予定(12時30分前に次なる休憩所の「弘法清水」につかなけれ
  ば頂上を諦める)が迫るので?行かずに進み、その「弘法清水」に着く。「岡部小屋」という珍しい個人
  の名前で営業している山小屋がある。急な荒涼たる尾根が裏磐梯方面から競り上がり、噴火口?
  から噴煙が。「地獄谷」とはこのようなものか。
  しばしの休憩で短い昼食時間を過ごす。
  木々が低木に変わり、急な斜面を頑張って、遂に全員で頂上を極める。
  苦しかった登りの後の絶景は格別でした。記念撮影をして下山にかかる。
  登り・下りでサポート体制の担当を替えて慎重に下っていく。
  下りはさらに気を使う場面があるも、先月末の六甲でのハードなトレーニング山行のお陰もあって、
  無事八方登山口にたどり着く。
  8時間を超す行動となるも、怪我人が出ることも無く、無事に帰れたことに感謝。
  バスで交流の家に送っていただき、「夕べのつどい」・夕食・入浴・地元の杉妻芸能協会さんの民謡・
  プロピアニストで三ツ星山の会会員でもあるYOUTAさんの演奏等で、最後の夜の懇親交流会という
  素晴らしい「おもてなし」を得て、最後自由交流会で最後の夜は更けていきました。
  
  15日、全体での閉会式で別れを惜しんでから、記念写真を撮り、3日間お世話になった交流の家を
  後にする。
  わがかざぐるまは市内観光に。郷土料理の「田楽」づくしを味わったあと、「会津鶴ヶ城」へ。
  売店では試食が多く、みんな喜ぶ。立派な石垣に囲まれた本丸をまわり、お土産を買いこむ。
  Iさんの話によると、再建された本丸の石垣は造りも粗いが、まわりを取り囲む石垣のほうが古く
  立派だとのこと。
  そして、鶴ヶ城を見晴るかす「飯盛山」へ。非業の死を遂げた「白虎隊」十九士の墓などがある。
  女流講談師(実は下の売店の売り子さん)の名調子による紹介で、大いに盛り上がる。
  十九士プラスワン(1人の生き残りの証言によって事実が明らかになったらしい)の苦難に皆合掌。
  売店でお土産を買い、猪苗代駅へ。
  1888年に磐梯山が噴火し、今の裏磐梯の景観や五色沼等の湖沼群が形造られたらしいが、なんと
  その20年前に白虎隊の悲劇があったことをあとで知りました。
  かざぐるまに加入させて頂いてから初めての泊りの山行でした。
  大きな山行のサポートということで緊張もしました。良いサポートができたかはわかりません。
  磐梯山は大きくて意外なほど植生が豊かで堪能いたしました。
  次回は2年後に「宮島」とのこと。以前にカヌーをしに宮島の裏も訪れたことがあります。
  世界遺産だけではない魅力が詰まったところです。
  みなさんとまた一緒に行ければ幸いです。
      

第14回視覚障害者全国交流登山大会に参加して

  9月13日から15日までの三日間、福島県猪苗代町の国立磐梯青少年交流の家にて、「第14回視覚
  障害者全国交流登山大会」が開催された。
  かざぐるまの一行18名は、京都駅に集合して新幹線で東京へ。
  ここから東北新幹線「やまびこ」に乗り換えて郡山まで向かった。
  数十年前にもこの地を訪れ、猪苗代湖の方まで足をのばして、五色沼など裏磐梯の自然も満喫した事
  がある。車窓から見る眺めは、その当時と何も変わらない。
  けれども東日本大震災で、福島原発の近くに住む方々は、いまだ避難を余儀なくされ、宮城県など津波
  で家を失った方々は、学校の校庭に建てられた仮設住宅で、まだ数多くの方々が暮らしていると言う。
  それを思うとなんとも言いようのない気持ちになってくる。
  今回の大会は、新潟県から山口県の13団体が参加し、262名もの仲間が集まった。
  どの団体も高齢化・サポート不足等同じような課題を抱えているが、皆さんなかなか元気一杯!
  親睦交流会も、なつかしい顔に久しぶりに会って盛り上がってました。
  大阪にいると平穏な毎日が、つい当たり前のように想いがちですが、今こうしてかざぐるまの例会で
  いろいろな所へ連れて行ってもらい、皆で山に登って楽しい時が過ごせる事に改めて感謝した今日
  この頃です。
  そしてもちろん、ある時には厳しく、その他の時にも厳しいOさんのアドバイスにも、きっと「愛のムチ」
  なのだと、顔で笑って心で泣きながら感謝した磐梯山でした。
  磐梯山16名・安達太良山2名、無事に登ってくることが出来ました。
  ばんだ〜い。ヽ(^。^)ノ

      

『第14回視覚障碍者全国交流登山』参加の記録

  安達太良山(あだたらやま)は福島県中部にある火山である。
  日本百名山、花の百名山などに選出されている。山頂には二等三角点「大関平」(1699.6m)が設置
  されている。
  古くは、万葉集にも詠まれ、また高村光太郎の「智恵子抄」の影響もあり、安達太良山ファンが全国
  から訪れる東北地方の名峰の一つである。

  ☆安達太良山登山コース 2014年9月14日(日)
   ○参加者 121名(視覚障碍者35名、晴眼者86名)
   ○交流の家8:00発→奥岳登山口ゴンドラ駅(9:00)→ゴンドラ山頂駅
    (10:00)→表登山口分岐点(10:45)→安達太良山山頂(12:45〜
    13:15、昼食、小休止、突起の頂上<乳首山>直下で記念撮影)→下山開始→
    ゴンドラ山頂駅(15:45〜16:15)→奥岳登山口ゴンドラ駅(16:40)、ここでリーダー、
    サブリーダー、各班長からの挨拶があり参加者全員、無事下山を確認し、心地よい疲れを感じな
    がらバスに揺られ(17:30)少し遅れて「交流の家」に帰り着いた。

  ☆感想、反省
   ○ゴンドラ山頂駅から山頂の二等三角点大関平コースについて
    ゴンドラ山頂駅から木道をすぎ、ゴヨウマツの茂る尾根道を登る。ハクサンシャクナゲなどの灌木も
    多い。表登山口コースとの合流点から登りがきつくなるが、周囲にはイワカガミやイソツツジなどの
    高山植物が多く、お花見登山のような趣がある。しかし、登る人下る人がひっきりなしに続き、道を
    譲ったり譲られたり励ましあい、助け合って12:45頂上に着く。そして全員の記念撮影。
    昼食時間は30分。突起の頂上(乳首山)には登ることができなかった。
    13:15「行きはよいよい、帰りはこわい」の言葉を胸に秘め、一歩一歩慎重に下山。
    15:00を過ぎると登山客はゼロとなり、私たちの一団はゴンドラ山頂駅に
    16:15下山し、登山口ゴンドラ駅へと向かった。

   ○高村光太郎の「智恵子抄」(あどけない話)の詩にふれて。
     阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
     毎日出ている青い空が
     智恵子の空だといふ
    この詩があまりにも有名で、安達太良山とその空を一望できるスポットを求めて登山する人が多い
    と言われている。
    実は私もその一人で、東北の山といえば高村光太郎→「智恵子抄」→「安達太良山」のイメージが
    しみ込んでいた。

   ○終わりに
      みんな仲間だよ!
       障害のある人もない人も!
        高齢者も子どもも、世界中のひとたちが!

    このスローガンのもと、本大会が開催されたとのこと。
    NPO法人山仲間アルプと本大会実行委員会が原動力となり、第14回大会が成功裡に終わった
    ことに心から感謝の言葉を送ります。
    安達太良山の山頂へサポートしてくださった地元山岳会の方々、
    赤十字のゼッケンの救急隊の皆さん、
    岩石が続く難路を確保してくださったボランティアの山男、
    そして福島の皆さん、本当に有難うございました。
    再来年の安芸の宮島「弥山」での再会を心待ちしています。
      


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