2019年1月度 超ソフト部例会報告 奈良薬師寺から大和郡山 |
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実施日 | 2019年1月6日(日) |
天 気 | 晴れ後曇り |
参加者 | 視障:10名 晴眼:11名 合計:21名 |
コース | 近鉄鶴橋駅〜西大寺(乗り換え)〜近鉄西ノ京(09:50)〜 サイクリングロード(11:00)〜郡山城跡(昼食11:50)〜 お誕生会、今年の抱負(13:20)〜城内散策〜「本家菊屋」 〜近鉄郡山駅(15:10)現地解散〜近鉄鶴橋西改札口(解散) |
感 想 | |
お寺とお城で、特に国宝には触れる事も出来ず、そして郡山城天守台からは若草山、 東大寺大仏殿や薬師寺の三重塔が遠くに臨めましたが、視障の人にはどうだったのか? 一寸気になるところです。 語り部さんがおられた事は嬉しいところでしたね。 1585年(天正13年豊臣秀長が城主になり城の大拡張を始め、城下だけの石では足りないと 判ると寺から地蔵、五輪塔、墓石、果てには興福寺境内の大小の石や平城京羅城門の礎石等 も用いたのだそうです。強くなった寺院への睨みでもあったようです。 私達もお地蔵様が頭の方から突っ込まれている姿を見ましたね。 雑談ですが、時代劇ではいつも頭の良さを悪知恵を使い、悪い役を引き受けていた? 「柳澤吉保」の名前を時代劇フアンなら知っていますよね、吉保の時代から徳川綱吉に 「側用人」として仕えたのだそうです。 1724年吉保の後をついだ吉里(よしさと)は石高の変更なく郡山城へ転封を命じられ、 明治4年(1871)7月の廃藩置県に至るまで柳澤家が治めていたのだそうですよ。 石高は15万1200石だそうです。私にはこの石高がどれだけのものなのか残念ですが わかりません。 |
参加者からの感想文 |
1月6日(日)薬師寺に参加させてもらった感想 |
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鶴橋の待ち合わせでの私のサポーターさんは、Tのお友達のAちゃんのおばあちゃまのTさんでしたので、 話もはずみ、意外にも大人しい感じでしたが、活発でランニングや、Oさんのようにボランティアなどすごく 前向きに人生を生きているように思い、私はすごく勉強になりました。 薬師寺には薬師如来の大きな像を触らせてもらい、この像がどうして彫られたのか、沢山の像…、 本当に考えさせられました。 そしてお賽銭を…。今年はいい年になりますようにとお願いしました。(調子いいかなぁ…) そして久しぶりにMさんとお会いして、お元気で活躍しているとの事で感動して、私も頑張って行こうと 思い、いい一日でした。 薬師寺さんのお陰でした。サポーターさん、スタッフさん、皆様のお陰でした。 有難うございました。 Tさん、卵焼き美味しかったです。有難うございます。 |