2016年1月度 超ソフト部例会報告
三十三間堂と清水(周辺)の散策
 





    
  実施日 2016年1月17日(日曜日)
  天  気 晴れのち曇り
  参加者 視障:10名  晴眼:13名  合計:23名
  コース JR京橋北口集合08:40〜京阪京都線〜七条エレベーター前10:00〜
三十三間堂拝観(通し矢視聴)〜豊国神神社〜方広寺(鐘)〜
加茂川縁(五条大橋と松原橋間)・昼食・ぜんざい・誕生会・例会案内
〜清水下みやげ物めぐり〜京阪五条15:00〜京阪京橋16:00解散
  感 想

  新しい年の初めての例会、皆様ご協力有難う御座いました。
  幸いにも午前中は陽が射して、暖かい中を歩くことが出来ました。
  午後は陽も翔りましたが、鴨川の端でそう風もなく、暖かいゼンザイにめぐり合い、
  感激の甘さでした。ご協力の皆様に感謝いたします。
  
  例会の行程は、予想どうりの人の多さでお疲れだったと思います。
  三十三間堂の中、まるで押し鞍まんじゅうに参加したみたい。
  これを機会に、今度は静かな堂内を味わってみて下さい。
  平安末期から鎌倉当時の声が聞こえて来ますよ。通し矢の音が耳に残りましたか?
  反省を一つ。清水寺の下の買い物ですが、集合場所を明示し、女性陣と男性陣を分け、
  且つ時間も決めて歩いた方が良かったですね。
  女性陣の買い物は品定めが厳重で、男の人には大変な時間となってしまいましたね。
  デパートに家内と行った過去のことを忘れていました。そういえば家内と、永らく一緒に
  買い物をしたことがありませんでした。
  でも男性陣ばかりのみにすると、今回の場では振袖美女の後ばかり追いかけますかね。
  新年早々スミマセン失礼しました。
           





参加者からの感想文

三十三間堂と清水周辺散策に参加して

  今回、三十三間堂通し矢の古儀の行事の当日に参拝しました。
  多くの方が参拝に来られていて迷子になりそうでしたが、三十三間堂初参拝の私は、千手観音に対面
  出来感動しました。
  少し歩き豊国神社へ。その昔、豊臣と徳川の争いの原因になった文字が刻まれている釣鐘があり、歴史
  を感じました。
  又少し歩き、加茂川べりでの楽しい昼食です。
  食後の温かいあずきたっぷりのおしるこ、とっても美味しかったです。
  お天気の心配も少しありましたが、1月の時季にしては穏やかでした。
  報告会、1月生まれの誕生会、ハッピーバースディ―、Hさんの演奏でお祝いして頂きました。
  (1月生まれですので嬉しかったです。)
  
  後は五条坂の方へ。とても賑わっていて、大勢の人でした。八ツ橋の試食やお土産など楽しみ、帰りは
  京阪五条まで歩き帰途につきました。
  (追伸:京阪電車では、行きも帰りも座席をゆずって下さった方、有難うございました。)
    

三十三間堂と清水周辺散策に参加して

  1月17日(日)の三十三間堂に参加させて頂きました。
  この度は早くから申し込んでいたんですが、急にTを預かって欲しいとの連絡があり、あわててリーダー
  のIさんに電話をして、「もしダメ」だと、欠席を覚悟しての事でしたが、快く参加させて頂きました。
  とても嬉しくて、二人で喜びました。
  17日の待ち合わせの場所もTが旗の目印を見付け、早く分かり、遅刻もせずスムーズに行け、ボチボチ
  の手引きでしたが、皆様の迷惑にならず(?)、初めての三十三間堂でした。
  ビックリの事ばかりで、成人の男女が着物で弓で矢を打ち抜くとの事、行事をTさんの説明や解説で
  イメージが出来ました。すごく貴重な経験をさせて頂きました。
  
  又、千手観音様の模型や建物の長さを手でさわらせてもらい、又、ビックリの連続で、とても勉強に
  なりました。
  又、Tが迷惑をかけたと思いますが、Iさんはじめ、皆さんの優しい心遣いに有難く感謝致します。
  本当に有難うございました。Tも喜んでいました。

      

三十三間堂と清水(周辺)の散策

  昨年秋に入会して初めての例会参加。当日朝は張り切って少々早めに家を出た処、JR京橋駅に8時前
  に到着。集合時間より40分以上も早くついてしまいました。
  実は、京橋に来るのも超久しぶり。(ほぼ四半世紀ぶり) 昔の薄暗いガード下の雰囲気はなくなっていて、
  少々浦島太郎のような気持ちで、周りを観察することにしました。
  15分ぐらいすると、IさんとKさんが現れ、8:30頃には、若干2名を残し全員集合。
  新年初回の例会は、順調な出だしのように感じられました。
  が、結局全員が集合して、京橋駅を出発できたのは30分後。その後の行程を暗示する出だしとなりました。
  
  京阪七条駅で、現地集合のみなさんと合流し、各サポートの組み合わせに分かれて三十三間堂に向けて
  出発。
  当日、三十三間堂は通し矢が行われており、無料開放ということで、堂内はラッシュ時の車内のような混雑。
  約121mの本堂を抜けるのに何十分もかかる状態でしたが、1001体の千手観音立像をじっくり見ることが
  できると、前向きな気持ちで堂内をゆっくりと進み始めるのでした。
  この1001体の千手観音立像は、すべて東を向いていて、東側にある後白河法皇陵を見守るような形に
  なっているとか。
  しかし、そんな前向きな気持ちも3分の1ほど進んだところで、少々くじけ気味。
  堂内の読経と、外から聞こえてくる通し矢の矢が的に当たる音を、一生に一度しか体験できない貴重な
  時間と、もう一度、前向きな心を取り戻すのでした。
  
  この三十三間堂(蓮華王院)は、平安時代末期に後白河法皇が自身の離宮の法住寺殿に、平清盛に
  建てさせたもので、鎌倉時代に火災で全焼した後再建されたものとはいえ、京都では最も古い建築物の
  一つとのこと。堂内の1001体の千手観音像の内、火災から救い出された120体は平清盛が作らせた
  ものが現存しているそうです。
  
  三十三間堂を出て、京都国立博物館で小休止した後、北隣にある豊国神社と方広寺へ向かい、時代を
  下って秀吉の時代に。
  豊国神社ではひょうたん型の絵馬、次の方広寺では豊臣家を滅ぼすために、家康がいちゃもんをつけた
  国家安康の梵鐘に触らせていただき、その銅板の厚さに驚くばかり。
  どうやら、この梵鐘は、明治時代まで野ざらしになっていたそうですが、豊臣氏を滅ぼした後も、徳川家は
  この梵鐘を破壊することまではしなかったようです。
  この方広寺は、豊臣秀吉が当時消失していた奈良の東大寺の大仏に代わる大仏殿として建てたもので、
  大仏像は伏見地震で破損後、何度も再建されましたが、最終的には昭和48年の火災で焼失し、現在は
  大仏像はありません。
  秀吉は、自分の死後の陵墓を東山の阿弥陀ヶ峰に作っており、方広や豊国神社は秀吉を祀る菩提寺社と
  して建立され、現五条大路や大橋は、その参詣路や伏見への連絡路として、秀吉時代に作られたものだ
  そうです。(平安時代に牛若丸と弁慶の出会いの場として有名な旧五条大橋は、清水寺への参詣路と、
  当時平氏一門の屋敷があった六波羅に通じる現在の松原橋とのことです。)
  
  方広寺を出て、五条大橋東詰より鴨川瓦におり、昼食、みんなでぜんざいもいただきました。(Kさんと
  大なべを届けてくださった奥様に感謝です。)
  H音楽部長の指揮によるかざぐるま音楽隊による誕生祝賀演奏、Iさんからの理事会報告、今後の例会
  案内があり、その後は、清水坂への散策に出発。
  
  さて、ここからが出発時の不吉な暗示が的中。行方不明者続出、捜索難航と、山野での団結した行動力
  には定評のあるかざぐるま?も、街中での行動には超不安。
  まずは、五条大橋西詰にある公衆トイレで出発準備、車道の真ん中にあり、触ることのできなかった牛若丸
  と弁慶の像を眺めながら、全員集合するのを待っていると、一人足りない? 五条駅の地下に向かったとの
  情報をもとに、五条大橋東詰に戻ったところで、交差点の向かい側に発見。
  再び、全員列をなして、六波羅密寺と珍皇寺の間にある六道の辻を抜けて、清水寺方向へ。
  この六道の辻は現世とあの世との境目とか、このあたりから皆さん迷いの世界へ突入したようです。
  列を乱して買い食いに向かう者、後続者と離れてはるか坂の上まで行ってしまう者、京の街中には、
  かざぐるまの団結力を越える魅力が充満しているようです。
  それでも、阿弥陀様のご加護があったのか、全員集合でき、帰路へ。
  坂をおりる正面に、愛宕山が眺められると聴いたときは、言葉にならない幸福感を感じるのでした。
  
  歴史好きな自分にとっては、とても楽しみにしていた散策でしたが、Sさんの詳しい街中の説明に、
  想定をはるかに超えた楽しい一日となりました。
  みなさん、ありがとうございました。
      


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