2021年12月度超ソフト部例会報告
長岡京の勝竜寺城、恵解山(いげのやま)古墳、長岡天満宮
 





    
  実施日 2021年12月5日(日)
  天  気 晴れ
  参加者 視障:9名  晴眼:15名  合計:24名
  コース 大阪駅08:55〜JR普通〜09:31長岡京駅(駅構内トイレ)09:40〜勝竜寺城土塁
〜神足神社10:14〜10:25勝竜寺城10:55〜11:20恵解山古墳11:35〜12:00
名水湧水広場(昼食)12:40〜13:20長岡天満宮14:00〜15:00
JR長岡京駅(現地組解散)〜JR大阪駅解散
  感 想

  JR長岡京駅前広場に集合。大所帯なので3つの班に分かれていざ出発。
  歩いてすぐに勝竜寺城土塁・空堀に着く。攻め込む敵を空堀を渡した橋におびき寄せて、
  横(土塁上)から弓矢等で狙ったという。実際に土塁に上がり橋も渡ることができた。
  由緒ある神足神社を参拝して、程なく鯉泳ぐ美しい水掘に囲まれた勝竜寺城公園。
  年一度の鯉品評会が開かれていて、色鮮やかな鯉達にしばし見とれる。
  あの明智光秀が山崎の合戦に向かった天王山を望む出陣テラス、戦いに敗れて一夜を
  過ごし脱出したとされる北門など、各ペアごとに思い思いにめぐり歴史に思いを馳せる。
  
  少し歩いて空海創建・勝竜寺。ぼけ封じのお寺で有名。「拝んでも、もう手遅れの人
  いるなあ」「あんた一万円ほどお賽銭しとかなあかんで!」などと盛り上がる。
  また少し歩いて川を渡り広々とした恵解山古墳公園。発掘調査で古墳の改修等がある
  ことから山崎の合戦の光秀側の本陣説もある。お城や合戦場等の位置関係が良く分かる
  地形盤、古墳の縮小模型を触りまくり、埴輪が沢山配置された古墳上をペアごとに歩く。
  
  城横の名水湧水広場に戻り昼食した後、一部当時交通の要衝・西国街道を経て、大鳥居を
  くぐって長岡天満宮に着く。道真公に縁ある神牛像が二体鎮座していてまたまた触りまくる。
  本殿・紅葉庭園等をペアごとにめぐった後、桜の名所八条池を回りJR長岡京駅にたどり着く。
  
  本当に久しぶりの例会だったので皆最後まで楽しくおしゃべりながらの取り組みになった
  のではないでしょうか。皆様お疲れ様でした。

           





参加者からの感想文

2021年12月度超ソフト部例会
長岡京の勝竜寺城、恵解山古墳、長岡天満宮 感想文

  「わぁ、○○さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
  これが、昨日の長岡京駅でのみんなの第一声。普段なら、「おはようございます。」
  という挨拶が交わされるところ、コロナのせいで1年以上例会が開催されなかったので、
  皆さんと会うのがとても久しぶりで、会う人ごとにこの挨拶が交わされました。
  皆さん、例会の開催を心待ちにしていたんですね。うれしい挨拶です。
  そして、もうひとつうれしかったのが、2人も体験参加に来てくれたことと、視障よりも
  晴眼者の方の方が4〜5人多かったことです。
  最近は、晴眼の方が足りないと言われる中、今回はサポーターさんが充実でしたね。
  こういう感じが続くと、早い者勝ちなどなくなり、行きたい例会に参加しやすくなって
  いきそうな気がします。
  晴眼者の方には、負担に思われてしまうと困るのですが…。晴眼者の方のたくさんの入会
  を祈るばかりです。
  
  そして、例会の内容はと言えば、下見に行った私は、手で触れる地図と埴輪に感動・興味
  を持ったのですが、昨日参加された方々の1番興味をもたれたのは・・・・・・・、ボケ防止
  の神社でした。皆さん口々に「切実!」と熱心にお参りされました。お年頃の悩みは、
  全員一緒ですね(笑)

  次回の例会で、お参りした効果があったかどうか、挨拶の時にお互い確かめましょう。
  久しぶりに例会が開催され、たくさんのメンバーに会うことができ、とても良い時間を
  過ごせました。
  これからも例会が続けられればいいですね。

    

2021年12月5日 超ソフト部例会
長岡京の勝竜寺城、恵解山古墳、長岡天満宮

  皆様こんにちは。視障のNNです。コロナ禍の中、待って、待って、待っての「かざぐるま」
  超ソフト開催です。歩くと少し汗ばむお天気で、総勢24名。JR長岡京駅、元気で合流して、
  楽しい一日を過ごして参りました。
  担当の皆様、お世話になり有難うございました。また私のサポートのMさん、Kさんお世話に
  なりました。
  
  当日は晴れ!!少し歴史に触れます、ごめんなさい。
  最初、勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)は実は昔、神足神社(こうたりじんしゃ)の辺りが入り口
  だったみたいです。広大な広さです。織田信長の命令により、細川藤孝が1571年(室町時代)
  に勝竜寺城を大改修しました。
  その時に造営した物。土塁(土塁は六世紀後半の物で神足古墳と確認される)と空堀(京都市が
  二つとも保存)発掘調査では土塁と空堀は比高6メートルの差があるみたいです。土塁の上に
  空堀があったんかなぁ?(すみません読んでても分からない、涙) 空堀は京都市が芝生を
  植えて綺麗に保存して有りました。要するにここから勝竜寺城は始まっているのですが、今は
  消滅してこじんまりとした小さなお堀(ここはお水が並々あります)に囲まれて二階建てのお城が
  建っています。
  お城の前庭でしょうか3メーター位の丸い円柱形の物が建っており、その円柱の周囲に龍の
  彫り物が描がかれています、シンボルなんでしょうかね。勝竜寺城の「龍」だからかな?
  円柱の上には獅子が座っています。2階は甲冑(かっちゅう)や時代のながれの資料が展示
  されてるみたいです。
  
  勝竜寺城は細川ガラシャさん御夫婦が住われてたとか。また明智光秀が秀吉との山崎合戦で
  敗れ一旦、勝竜寺城に身を伏せて明け方居城の坂本(大津市)に帰る途中で落武者に殺された
  のも有名です。
  また勝竜寺城は「本丸、北門跡、勝竜寺城の石造物、北東隅櫓の石垣と階段、東辺土塁の
  石垣井戸、本丸の井戸跡」等等、立札で説明されてます。小さい城でも櫓は高く裏は天王山も
  見えて山崎合戦が手にとるように見えたのではないでしょうか。(あっ!私の見解です)

  後、「ぼけ封じ観世音菩薩」様が優しいお顔で祀られてはりましたので…「これが一番大切や」と
  Mさんと手を合わせました。Mさんのサポートは私初めてでしたが細かい所も気付いてくれはって、
  とても歩きやすかったです。

  次は恵解山(いげのやま)古墳です。恵解山古墳は、古墳時代中期(今から約1600年前)に
  造られた前方後円墳です。 .
  恵解山古墳では、昭和55年、墓地拡張工事の際に前方部の中央付近から鉄器が出土し
  長岡京市教育委員会が緊急調査をして分かった事は…。
  恵解山古墳は、乙訓(おとくに)地域で最大の前方後円墳です。桂川右岸の標高わずか
  16メートルの台地端につくられており、全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、
  高さ10.4メートル、前方部の幅約 78.6メートル、高さ約7.6メートルと推定されています。
  周囲に幅約30メートルの周濠(しゅうごう)があり、周濠を含めた古墳の全長は約180メートルに
  及びます。古墳の表面には砂岩やチャートなどの葺石(ふきいし)が白く光ってたそうです、埴輪が
  並べられていました。死者を埋葬した施設は古くから墓地があるため明らかになっていませんが、
  後円部に竪穴式石室があったと思われます。私は古墳と云えば周りがお堀に囲まれたのをよく
  見ますが、恵解山古墳は大地の上にありました。Mさんと一周しました。
  手で触れて古墳の形がわかる様に縮小した模型があり間近に見れたことが嬉しく、とっても
  バリアフリーでした。この墓が物語るように権力の強い王様だったみたいです。

  名水湧水広場で昼食、お誕生日会。Tさんでしたがお名前忘れた方ごめんなさい。
  「お誕生日おめでとうございます。素敵な一年でありますように」そして今後の例会の説明でした。
  久しぶりの長岡天満宮、天神さんは大鳥居から入り右手に牛さん見ながらお参りさせてもらい
  ました。
  落ち着いた境内、稲荷大社も有りましたが、次に山行部で伏見稲荷大社を通るのでパスしました。
  小さな紅葉の広場、池を囲む様に木の橋がぐるっと造られてます。
  落葉も有り、池がこんなに広く感じるとは…桜の木も沢山、春にはピンクで天神さんももう一つの
  お顔を覗かせて華やぐことでしょうね。

  JR長岡京駅で現地組さんとさよなら、お名残りおしーい!(大袈裟)ここから大阪までKさんの
  サポートで足元しっかり教えて頂きました。
  超ソフト参加の皆様またお会いする日までお元気でー!
  
  ☆かざぐるま会員の皆様今年も有難うございました。良い年の瀬をお迎え下さいませ。
  令和四年が皆様にとってご健勝であらせられますように!!
      


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